2016年01月31日

「野島ドラマ」お気に入りセリフPart.12

遠くにいる彼女のことを想うとき、もう何も手につきません。


えぇ、分かっています。男のヒトは、まず「仕事」を第一に考えなければいけないのは、私でも。しかし、どこを目指してがんばればいいのか、時おり自問自答するのです。お金を稼いだところで彼女のココロが手にいれられるわけでもない‥‥金で愛は買えない。

そうなると、ますます深みにハマって自らの存在意義さえ見出せなくなります。彼女の、彼女ひとりのために生きたてみたかった私は、一体何なのか。そのこたえは、今はまだ見つかっておりません。


会っていた頃‥といっても、別に交際をしていたわけではないのですが、彼女と面と向かって会話ができる悦びの一方、平静を装いながらも徐々に、もうひとつのある感情が私の心を支配していきました。

「嫉妬」です。彼女自身に想いを寄せる人が他にいたのは、薄々気づいていたのだけれど、“矛先”はその彼ではありません。嫉妬した相手は、自分より前に彼女と出会ったヒト、すべてに対して。

『もう少し早く出会えていれば』そういった思考などではもはやなく、私の知らない彼女を知っているヒトへ、無謀に嫉妬をしていたのです。元カレ、同級生、肉親‥。できるものなら、私だってもっと、少女時代からの彼女を知りたい---


想いを、再確認“してしまった”先日の出来事。私より年齢が十下、ちょうど彼女と同い歳の女性と話す機会がありました。一般的な男性の目でみれば、多くが「美しい」と形容するであろう、端麗な女性‥。その方に、まったく心が揺らぐことなく、歳が彼女と同じと知って、また哀しい気持ちにさせられる自分がいたのです。

「魂」に惚れていたのだと、そのとき、つくづく思いました。年頃でありながら、なぜかノーメイクでいる日もけっこう多かったのですが、事実、私は彼女の「素顔」が好きでした。幼い顔に似合わず、タバコを吸う彼女の姿も、私は好きでした。

‥本当にいつまでも女々しくてよくないですね(苦笑)。自分を励ますために美しい(?)ヒトと引き合わせてくれた友人にも、申し訳ない事をいたしました。


先ほどの「嫉妬」という感情について、野島作品に幾分ユニークな見解があったのを、皆さま憶えてらっしゃいますか。【世紀末の詩】第九章「僕の名前を当てて」の中に、それがあります。


黄色いバラの花言葉を知ってるか?
嫉妬さ



ノストラダムスに扮した、謎の男の“アシスタント”をしていたナオという女のセリフ。‥最後、ナオは死にゆく男に向かって、そう言葉をかけたのです。彼が何者であるのかを、ついに突き止めた百瀬教授は、劇中のノストラダムスに絶望的な嫉妬の念があったと、分析していました。

『許せない。自分が一番優秀であるのに、新しい時代を見られないことが許せない』 予言はいくらでもできるのに、いずれ無くなる人間の哀しさ。だから、もう『人類など、滅んでしまえばいい』 のちに世界中の人々を散々恐怖に陥れた“悪魔”の予言は、こうして生まれた‥。これが教授の見方です。


‥もう見られないもの。一見、種類は似ているようですが、私の場合は未来ではなく、彼女の「過去」に嫉妬しているのだから、本当にどうしようもありません(笑)。嫉妬していいコトなんて、ただのひとつもないのでしょうね。自らを狂わせるだけ、です。‥こう書き込んでいると「嫉妬」という二文字が、やたら醜くみえてきました。

そういえば昨年の【アルジャーノンに花束を】に、青色の薔薇が出ていました。青いバラ。もとは【世紀末の詩】の件の章にあったでしょうか。限られたヒトにしか目にできないという青いバラについて、謎の男はこう言っています。『青いバラは神の祝福。人生を無駄にせず生きた者への栄光ある青』

回り道多き筆者にそれは、永遠に見えなそうです...

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2016年01月30日

「野島ドラマ」お気に入りセリフPart.11

俺ずっと、貴子のこと、好きだったんだ


【愛という名のもとに】‥あの倉田篤のように、思いきって彼女に告白をすべきだったでしょうか。

いえ、やはり私にはできませんでした。決定的にちがう部分は、篤はそのとき、すでに「死」を意識していたということ。自分は、これからも生き続けなければならないのです。したがって、知らずのうちの“セーブ”していたのかもしれません。彼女のなかには別の相手がいたようです。振られると分かっていて、なお、自らの心を痛めつける‥彼女への想いを決定的に「封印」させてしまう行為は、避けたいと。


未遂に終わりました。けれど、告白を片隅にでも考えてしまったのは彼女のこと「本気」だったが故です。あれほどまでに、一人のヒトに恋をした経験は、これまでありませんでした。すべての事象が初めてだったから、身の引き方とか、どうすれば彼女をきれいに諦められるのか、私は未だ判らずにいます。ただ、彼女との出会いを通じ、大事なものを確かに知れた気がしていた...

「愛」です。“結果的”にみれば私たちに縁はなかったのですが、よくこんなことを思いました。もし彼女が死んだら、私は泣きます。‥考えてみると、ヒトが亡くなって涙を流せるのは彼女、ただひとりだけなんです。もし彼女が不治の病にかかってしまったら、私は、まいにちのように病院へ見舞いに行きます。病気でもなんでも、彼女と会って話をしたいから。

恋愛がらみで「嫉妬」だなんて世にも醜い感情を覚えたのも、今回が初でした。もはや「恋する」の域ではとどまらなかった。彼女というひとりの人間、彼女の魂を‥狂おしいほどに私は愛していました。

“与えられる”ではなく、「与える」‥‥与える愛の悦び。いえ、厳密には与えていませんので、自分の場合は“与えてみたい”が、より適切な表現法となるのでしょうか(苦笑)。


“いちばん好きなヒト”とご結婚、または付き合っていますか---

現実的には、なかなか難しいのだと思います。出会いから段階を経て、愛を育んでいくことはあれど、最初から好き同士、魂が惹かれあっての両想いは、それこそ「奇跡」にも近いかもしれません。

すごく好きなヒトがいたとして、でも、結ばれなくて‥‥おそらく多くの方がどこかで折り合いをつけて、目の前の相手と向き合っている。好きになろうと、一生懸命「努力」もする。‥私もその「努力」をしようと何度も試みますがダメで、つい、未来のない彼女ことばかりを考えてしまいます。

くだりの篤‥自殺したチョロだって結局のところ、貴子のことをずっと想い続けていたわけでしょう?ホステスのJJに揺らいだ時期は、たしかにあったけれども、彼女への積年の想いは、絶対に消せやしなかった。貴子と交際をする人物が仲間の中にいたりで、自らに歯止めをかけていたのが、あの頃のチョロであったと思うのです。

愛する、本気で愛を与えたいと思えるヒトは、かならず一人だけ‥‥。私も、とうとう“そのヒト”と、出会ってしまいました。何をするというわけでもありませんが、私の「魂」が別離を懸命に否定しています(笑)。どうしても、忘れることができません。報われない想いをとどめたままにしておくのは苦しい。‥けれど、ひとつ言えるのは、これは不幸ではなく、自分の人生において、彼女との出逢いは最高に幸福な出来事になったのです。


恋愛をヒトを変えます。心の底から湧き出る愛というものを生まれて初めて知り、私も変わろうと思いました。彼女以上に愛せるヒトは、もしかしたら、もうこの世に存在しないのかもしれません。しかし、愛の悦びを知った今、私は“生きて”運命と向き合います。



倉田篤24回忌‥(笑)ありがとうございます


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2016年01月26日

「野島ドラマ」お気に入りセリフPart.10

井川真白。


【リップスティック】に登場し、池脇千鶴さん演ずる、とても罪を犯すような子とは思えない、眼鏡をかけた少女‥‥。鑑別所にいた彼女は、同室の子たちからも「母親」のごとく慕われていました。ところで一見珍しい、このマシロの名前の由来は皆さん憶えていますか。

離れて暮らしていた、名古屋に住む実の父親がつけたもので、いわく『真っ白な洗いたてのシーツのにおいが好きだったから』 です。


嗚呼、真白のお父さんは、柏木達也なのでしょうか?


‥すみません。それこそ野島ドラマ全般のファンにしか、伝わらない物言いをしてしまいまして(笑)。少し時間を巻き戻して【ひとつ屋根の下】。柏木家の長男で、クリーニング屋の店主・達也が“いかにも”言いそうです。または「あんちゃん的」な発想ともいいますか...

でも、こういうのって、野島ドラマでは度々目にすることができます。複数の作品がまるで同じ世界の中で描かれているかのように。

たとえば【世紀末の詩】第9話に「僕の名前を当てて」という回がありましたよね。バラックを襲撃した謎の男は、(一応)ノストラダムス‥であったわけですが、【人間・失格】の誠と留加の会話に、長い間世界中の人々を恐怖に陥れた“詐欺師”として、すでに名前が挙げられていたり?

同じく【世紀末の詩】第2話、「パンドラの箱」にての鏡子。目が治ったら最初に見てみたいものは鏡と口にして、夏夫が訝しがるシーンがありました。なぜ、恋人であり献身的に支えてくれた興梠の顔ではなく、“自分”なのか...

これが【この世の果て】の場合。やはり盲目であった砂田ななも同じ問いに、最初に見たいのは鏡と言っていました。しかし、純と付き合うようになり、心境の変化もあって、今いちばん最初に見たいのは「彼の顔」になっていたという、そんな対照的で、皮肉を利かせたエピソードもありましたよね。


ほんの一例にすぎなく、こういった話はまだまだ野島作品にはたくさん存在するのですが、極めつけはアレです。おもわず私が笑ってしまった、あのシーン...


フレーフレー、安奈!フレーフレー、安奈!


真白と同じ部屋に収容されていた三池安奈。鑑別所を出ていく際、担当教官であった葛西孝生が、そう彼女に向けて「エール」を送ったのです。もちろん応援団さながら、あの振り付けも交えて‥。“送られている”方も、ちょっと恥ずかしくなりそうですが、感極まった彼女はそれどころではありません(笑)

場違いに(?)どうして私が笑ってしまったのかというと、孝夫の行為以前の問題として、これと似た映像を前に目にしていた記憶があったからです。


【ひとつ屋根の下2】で、あんちゃんが同じことをしていました。遠くに行く川村泉に向け、万感の思いを込めて『フレーフレー、泉!』と大声で。おかしい理由は、実は他にもあって、同ドラマで達也の弟役を演じたのがいしだ壱成さんで、兼【リップスティック】の孝夫役!

なんでしょう、この絶妙リンク。野島さんの遊びゴコロなのかどうか判りませんが、視るたびに“ノジマニア”は笑ってしまいます。どちらも、本当はもっと感動的なシーンなのですけれど(笑)。『フレーフレー!』と、心から励まし応援をしてくれる人は、さて、あなたの身の周りにいますか---

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2016年01月21日

「野島ドラマ」お気に入りセリフPart.9

今年もよろしくお願いします。今更ですが(笑)


2015年は春に【アルジャーノンに花束を】がリメイクされたり、個人的にみましても野島ドラマ、大層に冠をつけたこのブログとも向き合う時間が、例年と比べると多くなったのではないかなと思います。

年末には、直接野島さんとは関係ないのですが、ちょっとしたサプライズがありました。レベッカの紅白出場!まだ皆さまのご記憶にも新しいことでしょう。

再結成後の紅白初出場も相当なサプライズでしたけれど、やはり、彼らが「フレンズ」という後世に残していきたい名曲を、あの場で歌唱してくれたのが、私にとって何よりの歓喜でありました。

この話の持って行き方からして、これから筆者が何を綴ってゆくのか、もう察しがついてる方もいらっしゃるでしょうね。‥はい、同曲が主題歌として起用された【リップスティック】について、今記事は触れてみたいのであります。


ドラマに行く前に、まずその「フレンズ」ですけど‥ドラマの内容やイメージといったものに対し、あれほど主題歌に“マッチ”していたのは、数ある野島作品の中でも【リップスティック】がダントツかと思われます。曲名どおり、鑑別所に収容されたワケあり女子5人の「友情」が主として描かれたこのドラマは、とにかく異色でした。

テーマもそうですし、あのような閉鎖された環境の中での物語ですから、異色になるのも、まぁ当然の成りゆきといえばそうなのかもしれません。しかも、この作品において筆者の胸に深く刻まれている言葉が「愛」でも「恋」でも、「真実」でもなく‥‥「永遠」 でした。この「永遠」というものについて、皆さまは奥深く追求したことがあるでしょうか?

私はよく想います。この世に「永遠」なんてものが、本当に存在するのか‥。モノではないヒトに「永遠」は、本当に存在するのか、と。




今いる多くのヒトは、22世紀にはいないでしょう。仮に今年生まれた赤ん坊も来世紀を迎えるころには84、5歳?‥ギリギリといったところでしょうか(笑)。そのときは筆者も、偶然これを目にされたあなたも、おそらく存在しない‥‥。人間の躯は確実に老いていきながら、朽ち果てるのです。そんな人間にとっての「永遠」とは、いったい何なのか。


もし、あるとすれば、誰かを想い続けるヒトの心にあるのだと思います。それを、私は【リップスティック】で教えられた気がします。


恋愛よりも永遠のほうが大切だよ。永遠があれば、なんだって自由なんだ。離れていても変わらない #08【真っ赤なリンゴ】より


“先生”を愛する、藍という少女が発した言葉。ふたりはいずれ、離れ離れにならなければならない運命の中にいました。むろん、あの特殊な環境下がふたりそうさせているのは云うまでもありません。でも、運命に抗うかのごとく、もうどうしようもないくらい、互いに想い合っていました。離れていても、人を想う‥愛する心は永遠なのだと。

これを作品の中では「バス」にも喩えていましたよね。永遠という名のバス、に乗って‥‥。ラストシーン。実はテレビドラマと小説版では異なった展開をみせるのですが、そうした背景もあって、後者の方が好きでした。小説では最後‥バスに乗って、藍と先生は「永遠」に、その境地に辿りつけたのですから。私は「永遠」を、創造することができました。


今でも好きだった彼女を、フッと思いだします。そんなときは辛くなって、何も手につかなくなります。他の異性に言いよられても、彼女のことばかり考えてしまう自分。彼女であったら、どんなに仕合せだったろうと、哀しい比較をしたりしてしまう自分‥。本当に嫌になります(苦笑)。これが半永久的に続いていくのかと思うと「永遠」とは、ときに残酷であるとも感じます。


いつか、私も「本当の人」を乗せて、ふたりが乗ったバスに、乗車できる日を夢みて---


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posted by はむ at 10:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 過去作品 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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