えぇ、分かっています。男のヒトは、まず「仕事」を第一に考えなければいけないのは、私でも。しかし、どこを目指してがんばればいいのか、時おり自問自答するのです。お金を稼いだところで彼女のココロが手にいれられるわけでもない‥‥金で愛は買えない。
そうなると、ますます深みにハマって自らの存在意義さえ見出せなくなります。彼女の、彼女ひとりのために生きたてみたかった私は、一体何なのか。そのこたえは、今はまだ見つかっておりません。
会っていた頃‥といっても、別に交際をしていたわけではないのですが、彼女と面と向かって会話ができる悦びの一方、平静を装いながらも徐々に、もうひとつのある感情が私の心を支配していきました。
「嫉妬」です。彼女自身に想いを寄せる人が他にいたのは、薄々気づいていたのだけれど、“矛先”はその彼ではありません。嫉妬した相手は、自分より前に彼女と出会ったヒト、すべてに対して。
『もう少し早く出会えていれば』そういった思考などではもはやなく、私の知らない彼女を知っているヒトへ、無謀に嫉妬をしていたのです。元カレ、同級生、肉親‥。できるものなら、私だってもっと、少女時代からの彼女を知りたい---
想いを、再確認“してしまった”先日の出来事。私より年齢が十下、ちょうど彼女と同い歳の女性と話す機会がありました。一般的な男性の目でみれば、多くが「美しい」と形容するであろう、端麗な女性‥。その方に、まったく心が揺らぐことなく、歳が彼女と同じと知って、また哀しい気持ちにさせられる自分がいたのです。
「魂」に惚れていたのだと、そのとき、つくづく思いました。年頃でありながら、なぜかノーメイクでいる日もけっこう多かったのですが、事実、私は彼女の「素顔」が好きでした。幼い顔に似合わず、タバコを吸う彼女の姿も、私は好きでした。
‥本当にいつまでも女々しくてよくないですね(苦笑)。自分を励ますために美しい(?)ヒトと引き合わせてくれた友人にも、申し訳ない事をいたしました。
先ほどの「嫉妬」という感情について、野島作品に幾分ユニークな見解があったのを、皆さま憶えてらっしゃいますか。【世紀末の詩】第九章「僕の名前を当てて」の中に、それがあります。
黄色いバラの花言葉を知ってるか?
嫉妬さ
ノストラダムスに扮した、謎の男の“アシスタント”をしていたナオという女のセリフ。‥最後、ナオは死にゆく男に向かって、そう言葉をかけたのです。彼が何者であるのかを、ついに突き止めた百瀬教授は、劇中のノストラダムスに絶望的な嫉妬の念があったと、分析していました。
『許せない。自分が一番優秀であるのに、新しい時代を見られないことが許せない』 予言はいくらでもできるのに、いずれ無くなる人間の哀しさ。だから、もう『人類など、滅んでしまえばいい』 のちに世界中の人々を散々恐怖に陥れた“悪魔”の予言は、こうして生まれた‥。これが教授の見方です。
‥もう見られないもの。一見、種類は似ているようですが、私の場合は未来ではなく、彼女の「過去」に嫉妬しているのだから、本当にどうしようもありません(笑)。嫉妬していいコトなんて、ただのひとつもないのでしょうね。自らを狂わせるだけ、です。‥こう書き込んでいると「嫉妬」という二文字が、やたら醜くみえてきました。
そういえば昨年の【アルジャーノンに花束を】に、青色の薔薇が出ていました。青いバラ。もとは【世紀末の詩】の件の章にあったでしょうか。限られたヒトにしか目にできないという青いバラについて、謎の男はこう言っています。『青いバラは神の祝福。人生を無駄にせず生きた者への栄光ある青』。
回り道多き筆者にそれは、永遠に見えなそうです...